以前の記事で「マイコン」の事を
書いたんですが、
なんでか評判が良かった
ので、マイコン遍歴を語りたいと思います。
市民センターの「マイコン教室」で、
すっかり「マイコン」と
プログラミング言語「Basic」にハマった僕は、
親におねだりして買ってもらった「マイコン」。
それ以降、マイコンからパソコンに
なっていきましたが、今でもそれが仕事になり、
パソコン使ってBlog書いたりしてるんですから、
考えてみたらすごいことです。
Sharp MZ-1200
中学1年生の時に、親におねだりして
買ってもらった初めての8bitマイコンがこれです。
「ディスプレイと、キーボードと、
カセットデッキ(!)の一体型」という、
現代ではもはや何を言っているのか
分からないであろうスペック。
色々一体型なので巨大で、
重量は10Kg以上あったんじゃないかなぁ…。
ディスプレイは「グリーンディスプレイ」
と言われる、
緑しか色のついてないモノクロ
のディスプレイでした。
なんでも当時は、
「目に優しい色は緑だから」という理由で、
「緑色のみのモノクロ」ディスプレイが
開発されたらしいです(驚)
現在のHDDにあたるのが
「カセットテープ」なんですが、
若い人にはもはや何がどうなったら
そうなるのか、説明できませんね。
この頃の「マイコン」って
OSという概念がまだなくて、
このMZ-1200は起動したら
毎回カセットテープでBasicが使える
環境を読み込む必要がありました。
は~、何と気の長い…。
「マイコンBasicマガジン」を毎月買っては、
プログラミングを打ちこんで、友達と遊びました。
この頃に既に、プログラミングの基本を
学べたのは幸運と思ってます。
この頃、同じ趣味の同級生が
持ってた機種は…
- NEC の PC-6001
- 富士通 の FM-8
- コモドール の VIC-1001
- 東芝の パソピア8
あー懐かしい。
Fujitsu FM-77AV
当時パソコンが欲しかった理由って、
「ビデオゲームがやりたい」からなんですよね。
元祖「ファミコン」が、僕が中学2年生くらい
の時に世にデビューし、持ってる友達の家に
毎日遊びに行って、
学校で問題になってしまいました(笑)
なので、2代目のパソコン(マイコン)は
先代からちょっと間があくんですよね。
このFM77-AVを手に入れたのは、
僕が高校生くらいの時かな…。
南野陽子がイメージキャラクターでCMやってましたね。
- 320×200で4096色を同時発色可能
- FM音源、PSG 各3音、8オクターブ
というスペックが当時画期的でした。
「もはやこれで、なんでも出来るな!」と(笑)
これで日本ファルコムの
「イース」「イース2」とか、
電波新聞社の
「スペースハリアー」「ドラゴンバスター」
なんかをやってた気がします。
今プレイしても十分楽しそう。
記憶装置は、3.5インチフロッピーでした。
NEC PC-9801RX
人生初のPC-98シリーズ。
今現在使われているCPUの源流となる、
Intel 16bit x86 CPUの80286が搭載されています。
ディスプレイは、
640×400で4096色中 16色発色可能、
だったかな?
CPUをサイリックスの互換CPUに交換して
使ってたような気がします。
当時のCPUソケットには、
着脱のためのレバーとかついてなかったから、
フォークかなんかで「むりっ」と取り外して。
当時はCPUピンの「欠け」もないから、
4方向全て刺さっちゃうんですよね。
向きを間違えないようにCPUを刺すのに気を使いました。
記憶装置は、5インチフロッピーでした。
多分、ゲームやらツールやらで
フロッピー200枚くらい所有してたと思います。
NEC PC-9821Xa7
後にWindows95がインストールされる
記念すべきマシン(笑)
初代のPentiumが搭載されていて、
ベース50Mhz × 1.5倍 = 75MHz動作が
スペックなのですが、
ジャンパピンでベースを60MHz、66MHzに
出来るので、
それでオーバークロックして使ってました。
CPU交換して、66MHz × 3 = 200MHz で
最後は動作させてたかな?
そうそう、この頃は会社員だったのですが、
生まれて初めてハードディスクを買いました。
容量は240MB。
いまではOSすら入りませんね(笑)
思い返せば、これが「最後の国産パソコン」でした。
これ以降は、自作PCの道となっていきます。
そいや最近、
アキバに
「T-Zone」も
「User’s Side」も
無いことに改めて気付きました。
自作PCパーツ屋さんって、まだアキバにあるのかなぁ?